“プロダクトマネージャー”という職種の市場価値は下がった
ここ1, 2年でプロダクトマネージャーという職種の市場価値は下がった、と感じる。
生成AIの進化は凄まじい。現にさまざまな業務が効率化され、AIに代替された。
例えば従来のPdMの重要な仕事だった「PRDを作成すること」の価値は小さくなった。というより、PRDがプロダクト開発におけるマストなものではなくなった、と書いた方が正しいかもしれない。SNSを見ていると、「PRDという静的なアウトプットではなく、プロトタイプという動的なアウトプットを」というのも目にする。
僕自身、現職に入って5ヶ月が経過するが、PRDを書いたことは1度も無い。また、テキストだけだとメンバー間で認識の齟齬が起きやすいケースもあるので、Claude Designでプロトタイプをつくることも増えた。

これまで価値のあった仕事がAIに代替されることにより、職種に紐づく価値の総量は減った。
AI時代のPdMはAIのアウトプットをどう解釈して、事業やプロダクトの状況を考慮して、意思決定する(betする)ことが価値になる(=AIでは代替できない、人間だからできること・やるべき)なんて言われている。個人的にはそれも時間も問題なのかなとも思ったりもする。まあ、他にもAI時代のPdMに求められることはあるけど一例として。
これはあらゆる仕事でも起こっていると思う。ここ数年前までは市場価値が高いとされていた職種の市場価値が下がっているよねということが書きたかっただけ。
ちなみにここ最近は「職種とか肩書とかどうでもいいわ〜」と思っているのでそれについてはまた記事を書く。
価値の大きさ・モノの良し悪しは時代によって変わる相対的なもの
で、この記事で何が書きたかったかというと、コレ。決して「PdMの市場価値が下がったら将来が不安です…」ということではない。(いや、不安は感じているけれども!)
今、価値のあるものは未来では価値がなくなったする。もちろん昔から変わらないものもあるとは思うけど、それは例えば「人に物を売る能力」みたいな抽象化された素養だと思う。具体名がついた概念の価値や良し悪しは時代によって変わる、価値や良し悪しは絶対的なものではなく相対的なものだと感じている。
今価値が高いのは今だからであり、今良いものは今だからであり、今悪いものは今だからである。
最近、コテンラジオというポッドキャストにハマっている。
古いものから全部聞いていっているけど、【2-3】スパルタの性事情!戦争に勝つためのスパルタ式肉欲道【COTEN RADIO スパルタ編3】で古代ギリシャの軍事国家であるスパルタの性事情について語られている。詳細は割愛するが、今だと評価されないことがスパルタでは評価されていたとか、今だとあまり良いものではないとされていたことが当日は当たり前だった、みたいな話がたくさん出てくる。
何に価値があるのかなんて時代や外的要因によっていくらでも塗り替えられるということを歴史から知ることができる。今価値があることは未来では無価値になるかもしれないと知っておくだけでも、今のやり方に固執せず、サンクスコストに悩むことなく、柔軟に社会に適応しやすくなるのでは?と思うし、これからの世界を生きる上では1つ重要な素養になるのではないだろうか。
歴史は人生において重要なことをたくさん教えてくれるので、もっともっと知りたい。
自分をちゃんと知ることが重要
価値のあるものが時代に変遷によって無価値になると書いたが、実際には悲しいことではある。その領域に人生の貴重な時間を費やしたのに価値がなくなるというのはなんか裏切られた気持ちにもなるかもしれない。
でも、仕方ないことでもある。だから今価値のあるものに貴重な時間を費やすのは合理的なことではあるので、その中から新しく価値のあるものにも活かせるスキルや知見、素養を身につけていくことが重要だと感じている。
あとは、自分が楽しいと思うことをやるのが1番良いと思う。損得はいきなりひっくり変えるかもしれないので、損得で判断するのはAI時代はリスキーだと感じている。
みんなは自分が楽しいと思うことを自分でわかっているのだろうか。僕はまだ探し中。すでにあって気づけていないのかもしれないし、まだ巡り会えていないのかもしれない。PdMが自分の中で楽しいランキング上位かもしれない。
人間は自分のことをよくわかっていない生き物だ。自分のことをちゃんと知ることの価値がこれから上がるはずだ。まあそれも時代とともに無価値になっていくかもしれないけど。

