最近、生成AIでつくられたものを見て感じたこと

thinking
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多くの企業・個人で日常的に生成AIが使われている。

自分も毎日何かしらの生成AIツールを触っている気がするが、インターネットに公開されている生成AIによる生成物を見て、最近感じたことを自分の思考の棚卸しがてら書いてみる。

まだまだ拭えない”生成AI感”

かなり浸透した生成AI活用の1つにスライド生成がある。

ClaudeのモデルとしてOpusが登場したくらいのタイミングで生成されるスライドを見て「うおお、すげえええ」となった(SNSでもそういう声はたくさん見た。そしてAI驚き屋がわんさか湧いた)のも、すでに懐かしく感じる。

スライド生成は遥かにラクになった。

イベント・カンファレンスの登壇資料が後日SNSなどにアップされるのを見ることがあるが、表紙の次のスライドを見た瞬間に「あ、これ生成AIで作ってほぼ手直ししてない」とわかるものに出会うことが多くなった

イベントやカンファレンスのルールで「生成AIをつくったものをそのまま使うの禁止」というルールが無ければ(まあ無いだろう)何も問題はない。が、一個人としてそういう生成物を見ると「気持ちは込めていないんだろうな」と感じることがわかった。

これは個人の感覚であり、偏見でもあると思う。

多分、自分以外の人の頭の中にも「生成AI感」はイメージできると思う。あれです。あれ。

生成AI感は手抜きを連想する

個人・法人が公開している資料の「生成AI感」が強ければ強いほど、こだわり度の低さを感じてしまうんだなとわかった。「まあこれでいいだろう」「これで十分だろ」と作り手が思っているのではないか、と想像してしまう。

社内の勉強会や研修等で使うための資料、コミュニケーションのために使うアウトプットであればポッと出しのもので十分だと思う。

少し前にとある企業が新サービスのプレスリリースを公開していたので、そこに載せてあるURLにアクセスしたところ、8, 9割の人が一瞬でわかるくらい生成AI感が強かった。「あ、これで公開しちゃうんだ」と。

とはいえ、常に「僕たちは今、どこまでこだわるべきか?」という問いを持つ必要がある。僕は現職で新規事業に携わっているため、QDCのバランスを常に意識する重要性を感じている。多分、上記の企業の意思決定では「D」と「C」を優先し、「Q」は1番優先度が低かった(というかほぼ考慮しないレベルだった)のだろう。その意思決定が正しいのか正しくないとかわからないし、部外者の僕が意見を述べることではないが、思わぬネガティブ感情を抱かれる可能性がある。

スライド生成に戻るが、スライド生成は本当に「人間がやる必要のないこと」なのだろうか?

AIに任せた方がもちろん時間は圧倒的に短縮できる。でもそれで良いのだろうか?こだわらなくて良いのだろうか?

YouTubeで野田クリスタルさんがゲーム開発においてデザイナー(デザイン)の重要性が増していると語っていた。裏側はAIで効率化できているが、表はAIに任せてはいけない、と。

生成物にもジャンル・カテゴリがあるので、「ゲーム」、「スライド生成」、「ソフトウェアプロダクト」を一緒くたで語るのと適切だとは思わない。特定のジャンルの中でもプライベートな領域で使うのか、パブリックにするのかなどにも変わってくると思う。

が、

  • 効率化・省力化が全て良いことではないのでは?
  • 効率化した方が(AIに任せた方が)いいところはどこか?時間をかけた方が良いところはどこか?
  • この生成物を見た相手(不特定多数の人含む)がどのように思うだろうか?それは許容できるか?

と考えることがAI時代において重要な問いではないだろうか?

これも全て最上段にある「目的」次第であると思っているので、今答えたい問いは何か?今解きたい課題は何か?を常に頭の中に入れることが重要。

自分もAIを使って何かをつくって公開するときに気をつけなきゃなと思った。

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