「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読んだ

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タイトルのとおり、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読んだ。

著書の三宅香帆さんが社会人になって本を読めなくなったことをきっかけに、働いていると本が読めなくなる理由を時代とともに紐解き、じゃあどうすれば「働きながら本を読める社会」にできるのかを考えている本だ。

この本を読もうと思ったキッカケは「理不尽仕事論 「クソが!!」と思った時に読む本」で紹介されていたから。そして自分が仕事をしながら、一応を本を読めているのだが、「へえ、本を読めなくなる人もいるのか。どういうことなんだろう?」と思ったのも理由の一部だ。

書籍内では明治時代〜現代までにおける「本を読む」ことの意味合い(元々は誰のためのものだったか、労働社会とどう紐づいてきたのかなど)の移り変わりが説明・考察されていた。それはそれで「へえ、当時はそうだったんだ」という感じで面白かったが、個人的に印象的だったのは現代社会における読書の難しさを紐解いた「第八章 仕事がアイデンティティになる社会」以降。

キーワードは自己実現、新自由主義、疲労社会、自己搾取、全身、半身、あたりだろうか。

色々な時代を経て、現代の特徴を以下のように整理されている。(ちゃんと洗い出せていないかも)

  • 仕事がその人の人生を決める、自己実現は仕事でする、という風潮がある
  • 1つのことをめちゃくちゃ・全身全霊で頑張ることが賞賛される風潮がある

本を読みながら、確かになー、と思った。僕も社会に出て10年が経過する。以下のような体験はある。もしかしたら自分もそういうことをしていたかもしれない。(していないことを祈る)

  • 「このような仕事を通して、自分は◯◯◯◯になりたい」というのを目にする
  • 自称仕事を頑張っている人の「残業多い自慢」「寝ていない自慢」
  • 過酷な生活・環境で生き抜いてきたことを武勇伝のように語る生存者バイアスばりばりのエピソード

ちょうど今日、家の近くの小学校のグラウンドで結構な雨の中、サッカークラブの練習が行われていた。余計なお世話かもしれないが、「なぜこの雨の中、屋外で練習をしているんだろう?」と思った。

引退をかけた試合や全国大会出場をかけた試合ならわかる。数時間の練習をこの悪天候の中、屋外でやる価値はあるのだろうか。練習だから価値はあるかもしれないが、それが原因で体調を崩してこの先数日間練習ができなくなるリスクが上がるが、そのリスクを天秤にかけてもやる意味はあるのだろうか、と。当人たちは「雨が降ってる中でびしょ濡れになりながら、泥だらけになりながら練習している自分たちかっけえ」と思っているのだろうか。そんなことを思いながら歩いていた。

僕の過去の話を少し。新卒でJTCに入社し、4年目(28歳)に未経験からプログラミングの勉強を始め、Webエンジニアにキャリアチェンジした。そこからもここ5, 6年は「仕事」に「全身」で取り組んでいたと思う。それは一定仕方なかったことだし、本書でもそういう時期があることを否定はしていない。

でも、ここ1年くらいで気づいた。

僕は仕事だけでは幸せになれないな、と。

人生における自己実現(自分の人生を満足させている≒幸せだと感じている状態)はどの側面からであってもいいはずだ。もちろん仕事で自己実現してもいいし、趣味で自己実現してもいいし、家事で自己実現してもいい。

でも、先述のとおり現代は「仕事で自己実現する」ことが前提になっている気がする。全身で仕事に取り組むそういう社会(だと勝手に思っている)だからみんな仕事にフルコミットする。だから余暇の時間が足りなくなる。少ない余暇の時間には自分に関係する・今すぐ使える情報だけを取り入れようとする。

本書で本を読むことを「自分から遠く離れた文脈に触れること」という表現をしていたのが印象的だった。今すぐに役立つかどうかはわからないが、いつかの自分に役立つかもしれない。点と点が繋がるかもしれない。でも、だからこそ、今役に立たない可能性が高い情報を取り入れる読書の優先度が下がる。


人生は仕事だけじゃない。家庭だけじゃない。趣味だけじゃない。

自己実現のために必要なことは自分の意思でやらないといけない

仕事が好きならフルコミットしたら良いと思う。だけど、それに支配されてはいけない。

三宅さんの望む「半身社会」には共感しかない。(2, 3年前だったらそこまで共感しなかったかも)

 「半身」とは、さまざまな文脈に身をゆだねることである。読書が他者の文脈を取り入れることだとすれば、「半身」は読書を続けるコツそのものである。

 仕事や家事や趣味やーさまざまな場所に居場所をつくる。さまざまな文脈のなかで生きていける自分を自覚する。他者の文脈を取り入れる余裕をつくる。その末に、読書というノイズ込みの文脈を頭に入れる作業を楽しむことができるはずだ。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

自分がブログを始めた(再開した)のも、「半身で働くため」とも言える。3年ぶりに個人ブログを始めたにそんな感じのことを書いている。仕事だけで生活を埋めないために、家庭にも、筋トレにも、コミュニティ活動にも、読書にも、その他の趣味にも時間を使いたい。それが実現できている、「半身で生きれているか」を後から確かめるためでもある。(だからこそ、仕事以外のこともちゃんとブログに残すぞという気持ちを持っている)

そんな「半身社会」がもっと広がって欲しいと僕も思っている。まずは自分で体現するところからだ。

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